まさか自分が時計を購入した時、ここまでどっぷりとハマるなどとは夢にも思っていませんでした。
最初に時計を購入した時はそれこそ兄が持っててカッコいいな、というのと社会人になって大きい買い物をしてみたい、という2点で購入しただけ。
それから数年、時計欲は止まる気配はなくむしろ膨れ上がる一方で自分の情熱の大半は時計に注がれているような気がします。
そこでふと「この趣味に終わりは来る(ある)のだろうか」と思いました。
右手に時計をするのはもはや「朝起きたら顔を洗う」くらい当たり前になっているので今後なくなるとは考えづらい。
着ける時計は変わっていくと思うので、問題はその時計がどんなものになるのか。
膨れ上がった欲の末にどうなっていくのか…。
今のところ自分が考えていることをまとめてみたいと思います。
ハッキリしているのは、きっと死ぬまで時計は好きであるだろうなということですね。
趣味の終わりってそもそも
趣味に終わりはあるのでしょうか。そりゃもちろんゼロではないでしょうし、子供のころ今の時計並みに情熱を注いでいたミニ四駆やハイパーヨーヨーなんかは今ではサッパリやっていません。
友人や同僚などの話を聞いていると趣味がないことに悩んでいる人が結構います。
「何か趣味が欲しい。熱中できるものが欲しい」と。
その点とんでもなく好きなものがあることは幸せなのかもしれません。
私が長く続けている趣味の一つにゴルフがあります。
高校生の頃に「ゴルフ5」というゴルフショップでアルバイトをして、クラブの勉強をして、稼いだお金で練習やラウンドをして…ということをしていました。
子供が生まれてからはコースには行けていませんが、今でも大好きな趣味です。
時計と共通する点ですが「1人でも楽しめる」趣味だと長く続けられますね。
時計は眺めてるだけでワクワクしますし、腕に着けて一緒に出掛けられる。保管のスペースもそこまで必要じゃありません。持ち運びも苦にならない。愛好家もいっぱいいる。メンテナンス費用も車などに比べてそんなに高くない。
こんなに汎用性高い趣味ってなかなかないんじゃないでしょうか。
資産にもなって、楽しめて、体力とか特別必要なことは何もなく腕に着けるだけ。
これは永遠に楽しめますね…。時計に飽きる未来が想像できません。
上がり時計、という目標?
SNSなどでよく目にするものに「上がり時計」があります。
これは「人生の最後に買う時計」「一生の相棒として買い替えるつもりのない時計」などの意味。
「あの時計を購入したら(できたら)もう新しいものは買わない」と。
「上がり時計」を購入したら時計趣味は終わりになるのでしょうか?
別に時計を買うだけが「趣味」じゃないですもんね。使っている限りは趣味と言えるのではないでしょうか。
ちなみにこの記事を読んでいらっしゃる方々の「上がり時計」は何でしょうか…?
私も目標としている時計はあります。でも色々見ているとコロコロ変わってしまうんですよね…金額の問題などもあって。
それはもはや「上がり時計」ではなくただ単に「欲しい時計」という…。
狙っているブランドは変わらずで、やはりパテックフィリップの時計を上がり時計として購入したいと考えています。
他の候補としてはランゲとか…憧れのブランドです。
その時持っている時計をほぼ全て処分して、その一本につぎ込む…!
それこそまさに「上がり」になりそうですね。問題は果たしてそんなことが可能なのかどうか…(家庭的な問題など)
いずれにせよ無理はいけません。欲しいと思ったタイミングに欲しい時計があるとも限りません。
長い時間をかけて目標とする至高の一本を探し続ける…。そんな楽しみも時計ならではかもしれませんね。
欲は尽きない
次から次へと欲しくなる。
これが最大の(?)問題です。これ買えたから終わり!じゃないんですよね…。
私は欲しい時計のことは出来るだけ調べまくります。
その時計の背景やレビュー、並行店で実際に見てみる、試着してみる、相場は大体いくらなのか、など。
深夜にお風呂入りながら携帯で時計調べて2,3時間経過しているなんてのもザラです。時計調べてると時間が溶けていきます。
私はどちらかというと機構などの中身よりも見た目や重さ、着け心地などに関しての情報を求めて延々ネットサーフィンしてます。時計は着けて見るものだし…。細かく詳しく書いている記事とか何回も読んでしまいます。時計持ってる方は全員詳細レビューを書いてほしいです。
そうしていると派生して色んな時計が目に飛び込んできますよね。例えばインスタグラムでお目当ての時計を検索して見ているとそのブランドの他の時計が出てきて興味が…という。
そうしているといつの間にか買えもしないのに「欲しい時計リスト」がどんどん増えていく。
ですから「この1本購入出来たらもうおしまい!」なんてことありえるのか…。
少なくとも私は出来そうにないですね…。欲しい時計が多すぎる。
そのどれもに甲乙つけがたいので結局満足できないという…。病気ともいえる。
自分にとっての終わりってなんだろう
ここまで述べたように自分の時計趣味に終わりが来る気配はなさそうですが…
ここでの「終わり」 は仮定として「上がり時計」を購入した時とすると、ある程度考えられるかもしれません。
欲しい時計は山ほどありますが、「コレを買えたら」という時計は幸運にも1つ手に入れることが出来ました…!
ずっと憧れだったパテックフィリップ ノーチラスのステンレスブレス青文字盤!
三針モデルではありませんが、手に入れることは永劫叶わないと思っていたのでこれは私にとっての「上がり時計」の1つです。
1つ、というと何個も出てくる前提なので終わらなさそうですが、他にもいつか…と夢見ている時計はあります。
パテックのグランドコンプリケーション、ランゲのダトグラフ、ローランフェリエやFPジュルヌなど独立系時計ブランドの時計…
値段はとんでもなく高いですが、そのどれもが超一級品で最後の時計に相応しい逸品でしょう。
しかし「上がり時計」というのは単に金額や性能だけで決まるものではないのでは…と思うと、クサい表現ですが「思い出」など他人には推し量れないものが乗っかって決まるもの…?
そう考えた時に一番ピンとくるのは自分の機械式時計の入り口、今は手元にないロレックスのシードゥエラー16600かもしれません。
この時計を再度購入した時、自分の中で何かが変わりそう。
子供の頃大好きだったゲームや漫画を超えるものがなかなか出てこないように(超思い出補正)、自分の最初の時計を超える時計はもしかしたら無くて、それを購入した時が「終わり」なのかもしれません。
まとめ
この記事を読んでくださっている方の「時計趣味の終わり」はどうなりそうでしょうか?
熱中している時に終わることを意識することはあまりないかもしれませんが、考えてみると新しい発見があるかも…?
私の場合はこれから先、時計を購入しそうな色んなイベント(言い訳)が待っているであろうこと、そこにかこつけて時計を購入したいな、と常に考えている自分がいることを思うと時計趣味は全然終わらなさそうです。
趣味などの熱が中々冷めない自分ですが、今までハマったもの全て今も続いているか、というとそんなわけもなく時計趣味もある日突然冷めてしまうかもしれません。
そんな時がもし来たら最後にロレックスシードゥエラー16600を購入してそれをずっと使い続ける…というのがいいかもしれませんね。
私にとっての「上がり時計」はある意味決まったので、そこに至るまでの間は何買っても大丈夫!(?)ということで売ったり買ったり着けて色んなところ行ったり、時計趣味を全力で楽しもうと思います。
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